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超高信頼ってなに? 後編
高校生でも分かる通信用語#29

はじめに
先月のMWC2026にて、アメリカのQualcommがWi-Fi 8(IEEE802.11bn)用のチップを発表して話題になりました。皆さんも、家庭や学校で必ず使っているであろうWi-Fiは、近年そのバージョンがナンバリングで管理されるようになっています。現行の最新規格はWi-Fi 7ですが、今販売している全ての機器がWi-Fi 7対応しているわけではありません。例えばiPhone 17無印はWi-Fi 7対応ですが、先日販売したiPhone 17eはその前のWi-Fi 6までしか対応していません。Pixel 10に至っては、Wi-Fi 7の対応はPro以上のみで、10aどころか10無印すら対応していません。つまり、Wi-Fi 8とは、まだ十分に広まったとは言えないWi-Fi 7の更に次のバージョンということになります。
じゃあ、何故Wi-Fi 8の話をしているのかというと、Wi-Fi 8が従来と違い通信の最高速度の向上を捨てたことを知ってもらいたかったからです。Wi-Fiも6、7までは高速化を追い求めていました。しかし、8になりついにそれを止めました。なんと、Wi-Fi 7と8では理論上の最高通信速度は同じなんです。いよいよ、Wi-Fiの技術陣ですら速度を求めなったということです。これは画期的なことです。
それでは、速度も変わらないのになんのために7から8というメジャーバージョンアップを行うのか?それは、Wi-Fiに「超高信頼」という通信を加えるためです。え?超高信頼ってなに? ということで、前置きがめちゃくちゃ長くなりましたが、今回は、Wi-Fi 8のコンセプトである「超高信頼」とはどんな通信のことを指すのか、説明したいと思います。
後編の今回はいよいよ「超高信頼」の中身について説明します。超高信頼とはどういうことか? 最高速度を捨てたWi-Fiが目指す場所とはどこか? ちょっと難しい話が続きますが、最後までお付き合いください。
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代わりに選ばれた「超高信頼」とは?
Wi-Fi 8では、誰も求めていない詐欺的な最大通信速度を追い求めるのはやめ、別の方向に舵を切りました。どんな方向か?それはすばり「信頼性」や「安定性」の向上です。Wi-Fiの信頼性や安定性が今ひとつであることは、私も感じます。携帯電話と比べると安定しないと感じている人も少なくないでしょう。Wi-Fi 8は、そういったWi-Fiの本当の弱点を改善するための規格である、と言えると思います。
Wi-Fi 8は、かつて通信の信頼性を上げる技術として検討されていたため、「Ultra High Reliability(UHR)」と呼ばれていました。日本語に訳せば「超高信頼」です。でも、「超」高信頼って何?「超(ウルトラ)」まで付いているって、どんだけだよ?と思いますよね。
技術ドキュメントによると「超」とは次のことのようです。まず、普通の高信頼の定義はというと・・・
- 10ミリ秒未満の遅延
- 0.1%未満のパケット損失率
だそうです。これに、「超」が加わるとこういうことが追加されます。
- 信号状況が悪い場合でも、少なくとも従来より25%高いスループットを実現
- 遅延分布の95パーセンタイルにおいて、従来より遅延を25%低減
- 特にアクセスポイント(親機)間をローミングする際に、従来よりパケット損失を25%減少
うん、なんか良くしたいということはわかりましたが、この文言だけだと具体的に何をしたいのかまでは分かりませんね。しかたないので、私の「超意訳」を入れさせていただきました。おそらく、こういうことが言いたいのだと思います。
- 電波が悪くてもちゃんとデータが通るようにします
- しっかり通信できている場所では、超低遅延とまではいかないけど、今までより遅延は小さくなるようにします
- 移動してアクセスポイントを跨いでもIP電話とかビデオ会議とかが途切れないようにします
という事だと思います。改善する箇所としては良いと私は思います。でもね、これらすべて「携帯電話なら昔から出来ていること」なんですよね。だから、私はWi-Fi 8を勝手にこう解釈しているんです。「Wi-Fi 8は携帯電話品質に近づくための規格である」と。Wi-Fi関係者にこういったことを言うと怒られるかもしれませんが、Wi-Fi 8で考えられていることの多くが、携帯電話で言えばLTEの時に考えられていたことなんですよね。でも、それは決してWi-Fiが技術的に遅れているということを意味しません。だって、最低でもうん百万する携帯電話の基地局と数万円のWi-Fiのアクセスポイントでは、できる事が違うのは当たり前です。だから、今回のWi-Fi 8は、かつて業務用で高価だった技術が、やっと民生用に降りてきた、と考えるのが正しいでしょう。
携帯電話に近づくWi-Fi 8
ということで、ここからはWi-Fi 8の超高信頼のために追加された機能を紹介していきます。といっても、専門的な感じではなく高校生でもわかるような感じで説明したいと思います。先ほどの章で書いた3つの超意訳?をベースに説明していきたいと思います。
1. 電波が悪くてもちゃんとデータが通るようにします
Wi-Fiは、電波が弱いと繋がっているのにデータを全く送受信できないなんて状態になることがあります。Wi-Fiしか通信手段のないノートパソコンとかなら仕方ないとあきらめられますが、「Wi-Fiがダメならさっさと4Gや5Gの携帯電話に切り替わって欲しいのにWi-Fiが邪魔をする」なんてことが、スマホだと発生します。例えば、「コンビニの支払いのためPaypayとかFamiPayとか開こうとしているのに、なかなかアプリが表示されないのでよく見ると、コンビニのWi-Fiに接続していた」とかあるあるですよね? そんな事を防ぐため、Wi-Fi 8ではいくつかの技術が投入されています。
- 電波が弱い状況での、エラー訂正能力の強化 従来なら通信できないような状況でも、通信が維持できるようにエラー訂正能力の向上と、電波が悪い状況の時の通信設定の強化を行いました。言い方を変えると「通信速度は遅くなるけど、その代わり電波が悪いところでも安定して通信できるようにした」ってことです。
- 「繰り返し」データ送信 「大事なことなので2回言いました」的に、エラーが多発するような状況では全く同じデータを繰り返し送ることで、確実にデータが通るようにしています。英語では「Repetition」と呼びます。もちろん通信速度は遅くなりますが、通信の信頼性は向上します。
- 同じデータを異なる周波数から送信 こちらは、「大事なことなので2人で言いました」といった感じです。周波数(正確にはサブキャリア)が異なる2つのブロックから、全く同じデータが送信されます。それにより、周波数に依存するような干渉が発生してもエラーを回避できます。これは上の「繰り返し」とほぼ同じメリットがあります。
2. しっかり通信できている場所では、超低遅延とまではいかないけど、今までより遅延は小さくなるようにします
正直なところWi-Fiは非常に遅延の大きな通信として(悪い意味で)知られています。その理由は「いつデータを送ることが出来るかわからないから」。アクセスポイントももスマホのような子機も、いつ誰がデータを送るかが誰にも分かりません。そのため、電波が混雑しているとデータ同士の衝突が発生し、もの凄く大きな遅延が発生しますし、その頻度も少なくありませんでした。 混雑すると遅延が大きくなると言う特性自体は携帯電話も同じではあるものの、携帯電話は送信と受信が異なるチャンネルになっていて、かつ基地局により全機器の通信の順番がコントロールされているため、Wi-Fiよりもシステムが大きい(距離が長い)割に遅延が小さく出来ました。 Wi-Fiも、Wi-Fi 6の時に機器の送受信が多少コントロールされるようになりましたが、Wi-Fi 8ではさらに様々な機能が追加され、遅延が小さくなるようになっています。
- 隣接するAP同士が連携して、同期する Wi-Fi 8の目玉機能のひとつに、MAPC(Multi-AP Coordination)というものがあります。この機能により、隣接するアクセスポイント同士が連携して、タイミングを合わせて(順番に)送信することによって、データ同士が衝突しないようにしています。また、AP同士で電波の方向を調整し、互いに干渉しないようにする機能もあります。
- あらかじめデータの送信枠を予約 Wi-Fiのアクセスポイントには、沢山の子機が繋がっています。いつ誰にデータを送るかはアクセスポイントが決めることではあるのですが、多くの場合「送る必要あるデータ」が発生してから、「送信枠を取りに行き」、その後「その枠で送信」、という流れになります。つまり、データが発生してから、送信枠を取りに行くまでのタイムラグが出ます。このタイムラグは接続しているユーザーや送っているデータが多いほど大きくなります。 そこで、Wi-Fi 8は、低遅延が必要なデータに対しては「あらかじめ定期的なデータ送信枠」を予約してしまうという機能が追加されました。この機能、大量のデータを送るような通信には使えませんが、例えばゲームのコントローラーの操作情報を送るときに役に立ちます。コントローラの操作情報は、一つ一つは小さな情報ですが、その代わり1秒間に60回とか120回とか送る必要があります。これを操作がある度に送信枠を確保して相手に伝えてとかのやり取りをやっていると、遅延がどうしても大きくなってしまいます。このような通信の時に、この送信枠の予約機能はとても役に立ちます。あらかじめ決まった周期で小さい送信枠を割り当てれば、枠予約のためのやり取りも減り、遅延ほぼ無しで操作ができるようになります。
3. 移動してアクセスポイントを跨いでもIP電話とかビデオ会議とかが途切れないようにします
Wi-Fiでアクセスポイントを跨いで通信することをハンドオーバー(ローミング)と呼びます。携帯電話はハンドオーバー前提でシステムが設計されているため問題が発生しませんが、Wi-Fiはハンドオーバーを考えずに作られたシステムのため、ハンドオーバーに問題を抱えていました。 学校や会社では通常数多くのアクセスポイントが設置されています。学校だとWi-Fiで通信しながら校舎内を移動することってあまりないかもしれませんが、会社だと結構あるんですよね、Wi-Fiで通信しながら移動することが。例えば、会社では社有のスマートフォンを持たされる支給されるため、そのスマホは会社内にいるときには会社のWi-Fiに繋がっています。そこで、スマホで電話しながら社内を移動することはまあまああります。そして、そのスマホの電話はIP電話になっているから、つまりWi-Fiに接続しながら移動するってことになるんですよね。そういったシーンで、これまでのWi-Fiはハンドオーバー時に一瞬切れたのですが、Wi-Fi 8では以下の様な技術により全く切れないのです。
- アクセスポイントが判断する いままでのWi-Fiって、ハンドオーバーをいつするか、どのアクセスポイントに切り替えるかとか全てを、移動する子機側が決定していたんです。でも、この方法だとハンドオーバーすべきでないアクセスポイントにハンドオーバーしてしまったり、逆にハンドオーバーすべきなのにハンドオーバーしなかったりすることが多かったのです。その理由は、子機には周りの状況がわからないから。Wi-Fi 8では、誰がいつどこにハンドオーバーするかをアクセスポイントが決定し、子機に指示を出します。Wi-Fi 8では先に説明したMAPC機能により周りのアクセスポイント同士が常時連携していますので、ハンドオーバー時もアクセスポイント同士が連携し、対処します。
- 切る前に繋げる Wi-Fi 7の時に、2.4GHz、5GHz、6GHzと複数ある使用可能な周波数帯域を同時に使うことができるMLO(Multi-Link Operation)という機能が追加されました。この機能は、通信速度を上げるために追加されたわけですが、Wi-Fi 8ではこれをハンドオーバーの時に切れないようにするために使います。 従来のハンドオーバーは今接続しているアクセスポイントの通信を一旦切ってから、ハンドオーバー先である次のアクセスポイントへの接続を行うため、その時に通信が一瞬切れる、IP電話であれば一瞬音声が途切れる、ということが避けられませんでした。しかし、Wi-Fi 8では子機が5GHzの電波を使って通信したていたとすると、ハンドオーバーの前に6GHzの電波を掴んで接続してから、ハンドオーバー、つまり5GHzの切断を実施します。そのため、通信が切れている時間がなく、音声も途切れません。
以上は主な機能についての説明でしたが、これ以外にもWi-Fi 8には様々な技術が投入されており、それらにより「超高信頼」と呼ばれる通信を実現するのです。
高信頼は流行るのか?
Wi-Fiはすでにあまねく普及しているシステムです。ご家庭だけでなく、GIGAスクール構想のおかげで、皆さんの学校にもWi-Fiが設置されていると思います。しかし、広く普及しているだけに古い機器を置き換え(リプレース)するのが難しいという課題が出てきます。
Wi-Fi 6は、Wi-Fi史上最大の改訂と言われ、最大の課題だったWi-Fiの混雑を改善するような技術を様々投入した素晴らしい規格でした。Wi-Fi 7は帯域を320MHzまで広げた上に、複数帯域を同時に使用できるMLOなどにより、最大通信速度が圧倒的に上がりました。しかし、どちらもWi-Fiグループ※2の予想とは異なり、既存器機のリプレースの起爆剤とはなりませんでした。おそらく多くのユーザーは、現状のWi-Fi 5で十分であり、Wi-Fi 6や7にリプレースする程の付加価値はなかったという判断をしたのでしょう。
そんな中で、Wi-Fi 8は、Wi-Fiに速度ではなく「超高信頼」という性能を加えました・・・ 既視感のあるこの流れ、そう携帯電話の5Gと同じなのです。LTEで十分という人達に買い換えを促すため、5Gは”高速”に加えて、新しい売りとしてURLLCというものを前面に押し出してスタートしました。URLLCはUltra Reliable and Low Latency Communicationsの略です。Wi-Fi 8はUltra High Reliablity、URLLCはUltra Reliableですから、とても似ていますよね。
このブログでは以前こちらの記事でURLLCについて書いています。ちょっと専門的で難しいですが、日本語ではめずらしいURLLCの技術を具体的に解説した記事です。その記事を読んでいただければわかると思いますが、Wi-Fi 8と比べると多くの場合でURLLCの方が高度な技術が使われているため、おそらく信頼性や遅延の面でURLLCの方が性能が高くなると思います。ただ、Wi-Fi 8が劣っているというわけではなく、先ほども書いたとおりコストが全く違いますので当然と言えば当然です。
で、そのURLLCに関する記事は約三年前の2022年のものですが、そこには「URLLCを誰が費用を払って、誰が使うのかが分からない」ということが書かれています。当時はまだ誰もURLCCを使っておらず、普通の通信よりもコストをかけてでも通信を高信頼(低遅延)にすることのニーズを誰も見つけられていないのでは?いう疑問があったからです。
さて、三年経った今、誰がURLLCを使っているのでしょうか? 調べてみるとドコモ、auなどの既存携帯電話事業者はサービス(ほぼ)していないように見えます。さらに調べてみると、URLLCを使っているのはローカル5Gと呼ばれる「自分で携帯電話基地局を建てて、自分で使う」システムを構築した人だけのようです。しかも、そのローカル5Gの中でさえ広く使われているということはなく、「工場機械の制御」とか、「重機の遠隔操作」とかのとても特殊な業務用の範囲でのみ使用されているようです。
そこから考えますと、もしWi-Fi 8が広まるとしても、まずは工場などの業務用が中心なのではないかと考えられます。超高信頼を実現するためには、施設内の全てのアクセスポイントや子機をWi-Fi 8にリプレースする必要があるでしょうが、それをしても数千万から数億円と言われるローカル5G構築費用に比べればずっと安いので、もしかしたらローカル5Gにコスト面で二の足を踏んでいた企業がWi-Fi 8導入に向かう可能性はあります。ただ、そういった企業がそれなりに出たとしても、Wi-Fiの市場規模からすると極小さい需要でしかありませんが。
ここまで色々書きましたが、確かに超高信頼という技術は、企業、工場では使うことがあっても、一般家庭ではほとんど必要はないんですよね。ということは、長々とこの文章を読んでいただいた高校生や大学生の皆様には大変申し訳ないのですが、現時点では皆様にWi-Fi 8は必要ないという結論になってしまいます。いや、速度以外の性能アップというのは私も歓迎なのですが、このブログは本音で書くのが基本ですのでね。
まとめ
例えば、現行Wi-Fi 7においてもAFCの様な、速度向上ではなく使える場所や通信距離を広げると言った技術も登場しつつあります。速度一辺倒の技術開発からの脱却は、Wi-Fi 8のみならずあらゆる無線技術で主流となっていくでしょう。ただし、速度の向上が担っていた営業要素をどの技術が代替できるのか、言い換えると「速度以外のどの技術なら売れるのか」という問には、今は誰も答えを見つけられていない気がします。
Wi-Fi 8やURLLCの様な、超高信頼や低遅延と言った、速度とは違う通信性能アップか?それとも、衛星通信のようなどんな場所でも使えることか?はたまた、使い勝手や、設定の容易さ、低消費電力といった、通信とは別の要素か? 最終的な勝者がどれになるのかは分かりませんが、いずれにしてもWi-Fi 8は「無線通信はこれまでと別のステージに立ちつつある」ことを象徴しているように思います。
超高信頼ってなに? 高校生でも分かる通信用語#29 前編 後編
※2; ここではWi-Fiの規格作成、機器認定などを行っているWi-Fiアライアンスのことを指している。


