LED通信事業プロジェクト エンジニアブログ
そもそもIEEE 802.11axってなに? #3
記事更新日 2024年1月16日
はじめに
前々回、前回に引き続き光無線通信のブログなのにWi-Fi 6、すなわちIEEE 802.11axについて書こうと考えています。(面倒なので、以降IEEEと802は適宜略します。)理由は、前回も書きました通り、LiFiの標準規格である802.11bbが、11ax準拠で作られた、というかもっと言えば11bbは11axそのものであり、LiFiを理解するには、11axの理解が不可欠であるってことです。
前回は、11axの目玉機能であるOFDMAについて説明しました。その中で、OFDMAはユーザー割り当てが柔軟になって遅延が減るだけじゃなく、周波数選択性フェージングの回避やら、スケジューラーによるAP全体の効率化などの話をしました。今回は、シリーズ最後、11axのOFDMA(とMU-MIMO)以外の特徴について説明しつつ、光無線通信に適用されたときの予想的な話にしたいと思います。
11axのOFDMA以外の特徴
QAMの変調次数アップ
最大速度を上昇させるのに使われる鉄板の技術が、QAMの最大変調次数のアップです。何のこと?と思う方は下の図を見てください。点が増えるほど速度が上がるって奴です。Wi-Fiは言うまでも無く適応変調を使用しているので、RSSIやS/Nが高い場合、QAMの1シンボルあたりのビット数(変調次数)を上げて通信速度を速くします。ということは、最大変調次数が高くなればなるほど、最大通信速度は上がっていきます。
さて、最大次数の数値ですが、これも世代が上がるほど高くなっていく傾向に有り、11b/g/nは64QAM(6bit)でしたが、11ac wave2になって256QAM(8bit)になり、11axでは1024QAM(10bit)になりました。QAMの数字が大きく上がっているので、何やらもの凄く通信速度が上がっているような気がしますが、ビット数増加を「相対値」で見ると、11nから11acは6=>8で13.3%の向上、11acから11axは8=>10で12.5%向上に留まっており、すでに変調次数では速度が上げにくくなっていることがわかります。QAMの次数を上げるにはSN比を上げることが必要で、そこで通信速度が上げにくくなるってことは「シャノンの定理」そのものなんですけどね。
MIMOのアンテナ数アップ
MIMOも最大速度上昇の常套手段ですね。MIMOを詳しく説明するとまた時間がかかってしまいますので、簡単に説明しますが、MIMOは複数アンテナを使って、別々の経路をとることによって「論理的なチャンネル」を増やす技術です。もっと簡単に言えば、2本のアンテナを使ってMIMOを行う場合、1本のアンテナは右の壁に反射させ、もう一本は左側の壁に反射させることで、同じ周波数であってもチャンネルを分けられて、その分トータルの通信速度が向上する、そんな技術です。この例の場合、2チャンネルで通信できるため、通信速度は非MIMOの時と比べ倍にできます。
実際のMIMOは、反射とか物理的現象を考慮しているわけでは無く、行列計算の塊によって実現されていて、実際に倍に近い速度が出ることもあれば、MIMOを使っても速度が変わらない場合もあり、通信環境によって大きく異なります。MIMOが導入されたのは11nからで、その時はアンテナ2本、MIMO用語で2x2でした。11acでは最大4x4※1になり、11axでは最大8x8になります。8x8だとAP、STA共にアンテナ8本です。アンテナ8本というのは、APであれば、針山のようで見た目はとっても悪くなりますが、比較的容易に実現可能です。しかし、STA、つまり端末側で8本のアンテナを積むのは困難です。「血の滲むような苦労をして体積をやっと1cc削る」なんていうスマートフォンの世界で8本のアンテナを端末内部に設置するのはサイズ的に難しく、結構なハイエンドスマートフォンであっても2x2対応までのものがほとんどです。ですから、8x8MIMOといっても、APの8本のアンテナは最大通信速度の向上に使われるのでは無く、ユーザーの多重化(MU-MIMO)に使われているようです・・・
と、ここまで書いたところで前回と同じ事を言わなければならないのですが、光無線通信、特にLiFiにおいてMIMO実現は物理的に困難※2ですので、11bbにおける11axの話としては、MIMOは無関係なのですよね。
BSSカラーリング
前々回にも書いたとおり、Wi-FiのAPやSTAは、周辺で同じチャンネルの電波を使っていないかどうかモニター(測定)してから送信するキャリアセンスという動作をします。で、他の機器が電波を使っているかどうかの判断をする閾値というのは決まっていて、Wi-Fiの電波ではRSSI=-82dBm、非Wi-Fiの電波ならRSSI=-62dBmとなっています。キャリアセンスの結果、その閾値以上の強さの電波を受信した場合、自分からは電波を送信しない(ちょっと待つ)というルールになっています。これまでこの閾値は固定でした。だから、他のWi-Fi機器からの電波が-82dBm以上で届いた場合、問答無用で送信できなくなっていたのです。
けど、干渉といっても、自分の属しているWi-Fiの機器からの干渉と、関係無いWi-Fiからの干渉では意味合いが違うだろうということで、自分たちと他人を区別する目的で作られたのがBSSカラーリングというものです。送信の頭に、同じグループの機器は同じとなる「BSSカラーリング」のマークををつけ、他のWi-Fi機器と区別します。そして、もしBSSカラーリングが異なる他人の電波による干渉が送信停止の閾値(-82dBm)を超えていても、自分の送信出力を適切に調整すれば他のネットワークへ影響を与えずに済む、そういう技術です。まあ、長々書きましたが、他のAPの干渉があったとしても、適切な出力で通信することで「影響を受けず、かつ影響を与えず」通信するってことです。
この技術は、11ax独自技術ではなく、ちょっと先行していた11ah、通称Wi-Fi HaLowと呼ばれているIoT向け900MHz帯通信から引き継いだものです。この技術、干渉での速度低下を解決する手段としては結構有効な技術と思うのですが、実は高性能な、そして高価な企業向けAPにおいては、(11acの時代から)各メーカーの独自機能として似たような技術が以前より実装されていました。恐らく、皆様の会社や学校に設置されているWi-Fi APにはそんな機能がすでに実装されているはずです。そのため、多くの場合「APをWi-Fi 6に入れ替えてこの技術を導入することで、今より劇的に干渉が改善する」ってことにはならないのが残念なところです。
屋外環境での通信改善
Wi-Fiといえば屋内ってイメージですが、Wi-Fiも屋外で使いたい、すなわち「携帯電話のように使いたい」というニーズがあったりします。実際、工事現場のDX化とかで、広大な敷地の工事現場であっても、現場全体がWi-Fiエリア化されているケースも少なくありません。そのようにWi-Fiを携帯電話的に使うためには、今以上に「長距離に対応すること」と「ロバスト性を上げること」が必要となります。というわけで、Wi-Fi 6では屋外での使用を見込んで、以下の対策がされています。
- OFDMのガードインターバル※3として、11acの0.8μsから1.6/3.2μsのオプションも追加された
- パケットのプリアンブル(データ前の最初の部分)の出力向上し、新しいエリア拡張用のパケットフォーマットが追加された
- 複数周波数で同じデータを送ることができるようになった(周波数タイバーシティ効果)
- S/N向上のため、PHYフレームのデータフィールドの8MHzの狭帯域送信が可能となった
この辺の細かい機能追加は、携帯電話や他の通信でも同様な機能がありますので、無線通信として特別な新しい技術ではありません。しかし、それ故に、確実にエリア(セル?)の拡大には確実に寄与するものと考えられます。
### 省電力
スマホの登場により、Wi-Fiを使用する機器の主役はノートパソコンからスマートフォンに変わりました。STA側の省電力というのはノートパソコンの時代から必要なことではありましたが、主役がスマートフォンに変わってからは更に重要度が増しました。それも、使っているときの電力よりも待ち受け時の電力が重要です。Wi-Fiの待ち受け電力が特に大きいわけでは無いのですが、LTE以降の携帯電話の待ち受け電力はかなり小さくなっているため、「携帯電話のLTEの方が消費電力が少ないから、電池を長持ちさせるためにWi-FiをOFFにする」なんて人もいたりして、Wi-Fi STAの更なる省電力化は喫緊の課題でした。
そんな経緯もあり、11axではTWT(Target Wake Time)という機能が導入されました。これは、一定の「端末が寝る(送受信をしない)」時間を作るを作ることによって電池を節約しようとする機能です。11ac以前でも似たような機能はありましたが、AP配下全端末同じ設定、同じタイミングで起きなければならなかったりして、有効な機能ではありませんでした。11axでは携帯電話のようにSTA毎に起きるタイミングが厳密に指定され、効果的に電池の消費削減ができるようになりました。この機能も、11ah(HaLow)から引き継がれた機能です。11ahは、IoT向け規格ですから、電力消費削減を他のどの規格よりも重視しますので、11axがこの技術を引き継いだということは、かなりの電力消費削減が見込まれるのです。
11axの課題
ここまで11axの技術を紹介してきました。11axは11ac以前と比べて、大幅に改良がされておりますが、もちろん課題もあります。
私も現在の11ax、つまりはWi-Fi 6の状況に明るいわけではありませんが、そんな私にもわかる、11axの唯一にして最大の課題点は「普及しきっていない」ことです。11axにはOFDMAを初めとする数々の素晴らしい機能があるわけですが、それら機能のほとんどは「11ac以下のSTAが存在しないこと」で初めて威力を発揮します。後方互換性能を持つ11axのAPは、11ac以下のSTAが接続している場合は、そういったSTAでも通信できるように11acモードで運用する必要があります。その場合OFDMAなどの先進機能が使えなくなります。使う周波数で、使う技術(RAT)を分けられる携帯電話との違いがここにあります。5GNR用の基地局に、LTEの端末がアクセスすることはできませんが、11axのAPは11acのSTAによる通信を受け入れなければなりません。
Wi-Fi陣営としては喜ばしいことに、11axの普及と時を同じくして、Wi-Fiに対応する機器の種類は拡大の一途を辿っている、言い換えれば裾野が広がっています。しかし、同時に裾野が広がるほど用途も広がるわけで、必ずしもノートパソコンやスマホのような高速通信が必要な機器ばかりでは無くなるってことでもあります。例えば、白物のスマート家電。洗濯機とかエアコンとかWi-Fiで通信して制御できるようになりましたが、これらの機器は最低限の通信ができればいいので、2.4GHzオンリーで、規格も11n(Wi-Fi 4)までしか対応していない場合が多いようです。また、おもちゃ、例えば最新のたまごっちである「たまごっちUni」は、たまごっち史上初めてWi-Fiを搭載しインターネットに接続することができるようになっていて、そのことでクラウド(たまバース)にアクセスしたり、アイテムやゲームなどがダウンロードできるようになっていたりして、これまでにない遊び方ができるようになっています。2023年発売のこのたまごっちは、機能としては今どきのものを搭載したわけですが、無線装置としては2.4Gの11n対応だけと古いままです。もちろん、これら機器の用途を考慮すれば11axどころか11acですらオーバースペックなわけで、今後も同じ用に「通信は11nで十分」という需要はまだまだあると思われます。そうなると、AP配下のSTAが11ac以上だけになるのはずっと先の話となり、11axの真の実力が発揮できるのも当分先の話となりそうなのです。
余談ですが、たまごっちUniは先代スマートに引き続き「スマートウォッチ」、つまりは腕時計タイプのたまごっちです。多くの普通のスマートウォッチはWi-Fi非搭載で(eSIM対応機を除けば)直接インターネットへ接続できないのに対し、おもちゃでありスマートウォッチ「っぽい」だけのたまごっちUniはWi-Fiを使って直接インターネットに繋げられる、というのはなにか逆転してて面白いですね。
実はWi-Fi 6用に割り当てられた周波数※4もあって、そこでならWi-Fi 6の技術が活用できるのですが、最近割り当てられたばかりということもあり対応していないSTAも多いようです。日本で使えるようになったのは2022年秋ですからね。正直、まだ活用されているとは言い難い状況です。
11axから考える11bb
さて、11axの話ばかりになりましたが、このブログは光無線通信のブログですので11bbと11axの話をしなければなりません(怒られます)。ですから、光と電波の違い、すなわちLiFiとWi-Fiの違いからくる技術的な注意点をいくつか挙げてみます。
- エリアが狭い
- 光が届く範囲を考えるとAPあたりのカバレッジは2.4GHzは当然として5GHzと比較したとしても相当に狭くなります。エリアが狭いということは、AP配下にあるSTAの数はさほど多くならないということであり、また他グループ(異なるBSSカラー)ののAP、STAからの干渉は多くないということでもあります。
- MIMOが効かない(効きづらい)
- 何回も書いてますが、LiFiはMIMOが有効ではありません。事実上LOS(見通し内)通信しかできませんし、位相をコントロールできるわけではないため、アンテナ(レンズ)ができることは多くありません。
- フェージングが小さい
- OS通信しかできない、すなわち反射による減衰が大きいということはフェージングが発生しにくいということでもあります。したがって、Wi-Fiほどフェージング対策に力を入れる必要はありません。
- 出力に関する規定はない
- 光は電波法とは関係無く、出力の規定・規制はありません。光は広がらないので周囲への干渉も少ないです。そうなると、Li-Fiの出力を決めるのはデバイスの性能やコストだけってことになります。例えば、プリアンブルの出力だけを上げるとか周囲への干渉を気にする機能はそもそも必要はなく、出力は最初からすべて最大にしておけばいいだけです。もちろん、発熱や消費電力の問題で出力を制限することはあるでしょうが、それは実装レベルの問題です。
- 屋外で通信できない
- LiFiの性質上、どうしても子機側は上を向いて通信しなければなりません(送受信方向が上向きになる)。そうすると、太陽光の影響をかなり受けてしまいます。場合によっては直射日光が当たる状況では通信ができなくなることが考えられます。もちろん、夜なら通信可能でしょうが、実用上は屋外での通信は難しいと言えるでしょう。
ここまで書くとなんか気付きますよね?11axで変更・追加された機能の多くはLiFiにはあまり関係無いってことを。エリアが狭くてAP配下STAが少なく、またフェージングが少ないということであれば、11ax目玉のOFDMAは、LiFiではほとんど効果を発揮しません。アンテナ数増加、ガードバンド延長、BSSカラーリングに至っては、ほとんどどころか「全く」意味はありません。もちろん、変調次数アップや省電力など効果のあることもありますが、どちらかというと枝葉の部分で11axの本質とは離れています。
11axの最大通信速度は約9.6Gbpsなので、11bbも公式発表などでは最大9.6Gbpsと書かれています。しかし、11axの最大速度は8x8MIMOが機能した場合の最大速度のため、11bbではMIMOが機能しないとすれば、その最大速度は1.2Gbpsまで落ちます。そうなると、先行している別の光無線通信規格であるITU-T G.9991(G.vlc)よりも通信速度が遅いということになります。もっとも、どちらもよっぽど条件が揃わない限り規格上の最高速度など出ませんので、実際の通信速度は、どちらの規格も似たようなものになるものと予想されます。
まとめ
これまで、3回にわたって11axについて書いてきました。11axそのものが、素晴らしい技術である事は間違いが無いのですが、古いSTAがある限り性能を発揮しきれないというのは、なかなか解決が難しいですね。11axのOFDMAの技術は、慢性的に混んでいる2.4GH帯でこそ発揮されると私は思っています。しかし、古いSTAこそ2.4G帯を使うというジレンマ。どう解決するのでしょう。見当も付きません。そんなこともあり、現在のところ、11axつまりはWi-Fi 6は関係者の期待通りには普及していないと思います。そうしている間に、もう次のWi-Fi 7(11be)が出てきています。もちろん、11axの技術はWi-Fiの「新たなベース」となるものばかりですので、11axそのものが無駄になることは無いでしょうが、それでも若干の期待外れ感は否めません。
一方で、いきなり11axベースでスタートする11bbLiFiでは、11axの技術をあますことなく発揮できるでしょうが、ここでも書いたように11acでも11axでもLiFiにとってはあまり変わらないんですよね。どちらかというとポイントは「LEDで11axの波形をどこまで再現できるか」ってことになるでしょう。160MHz幅のOFDM波形をLEDで再現するのは大変です。LEDをドライブするアナログ回路にも工夫が要るでしょう。私が知る限り、今のところ11bb完全準拠でWi-Fi SoCをそのまま使った製品というのは出ていないと思います。今後、本当に、Wi-Fi SoCがそのまま流用できるのか?流用できたとして、LEDベースでどれだけの通信速度が出るのか?というところがわかってくると思います。
さて、3回にわたりIEEE 802.11axについて書いてきました。11ax自体は結構巨大な標準規格なので、3回使ったからとて、その技術の一部しか紹介できていませんが、11axのなんとなくの特徴みたいなものはご理解頂けたのではないかと思います。私自身も光無線通信のエンジニアであってWi-Fiのエンジニアでは無いので、11axの魅力を伝え切れていないかも知れません・・・ と、今はそんな言い訳をしておりますが、いよいよ光無線通信も802.11系列の仲間入りをしたわけですから、私ももっと802.11のことを勉強して、11bbの可能性を伝えられたらと思います。
※2; 技術的に不可能では無いが、MIMOの実現のためにはLED-PDの送受信系を物理的に複数持つことになり、製品サイズ、価格の大幅な上昇が避けられないため、実装が現実的ではない。
※3; Cycric Prefixと呼ばれる、シンボル間干渉(ISI)を防ぐための時間のこと。
※4; 世界的に6GHz帯が割り当てられた。この6GHzに対応した11ax機器はWi-Fi 6Eとされ、6GHz帯非対応の機器と区別されている。