LED通信事業プロジェクト エンジニアブログ
LiFiのIEEE802.11bbの承認について
記事更新日 2023年7月25日
はじめに
先日、LiFiの標準規格であるIEEE802.11bbがIEEEに承認されたというニュースが飛び込んできました。この記事で何度か書いておりましたが、正直私はここまで来るにはもう少し時間がかかると予測しておりました。というのも、この11bbという規格は先日も紹介したITU-T G.9991(G.vlc)とは異なり、Wi-Fiとの相互運用が目的となっていたからです。相互運用というのは、例えば光と電波でシームレスにハンドオーバー接続できたり、ユーザー側が意識しなくとも同じSSIDとかで接続できたり、そんなことを意味しているようです。
ですが、先のブログでも書いたとおりG.vlcは電力線通信(だけじゃないけど)であるGiga Home Networking(GHN)をベースにしており、GHN向けに開発されたチップセットを使用する前提で標準規格化されたものでした。自虐的になってしまって申し訳ないんですが、ありとあらゆる用途や機器に使われているWi-Fiと、超ニッチな存在でしかないGHNでは、技術的な複雑さから、関係者の数から何から何までレベルが全く異なります。802.11ax(Wi-Fi 6)以降は多重化方針がガラッと変わりながらも、後方互換性を維持しなければいけないため、複雑さに拍車をかけています(といっても5GNR程ではないですが)。巨大規格とニッチ規格では標準規格化に必要な内容というかボリュームですね、これが全く異なるはずなのです。ですが、11bbは承認されました。
光無線通信関連では、何年も先行していて関係者はほぼ同じのはずのIEEE802.15.13という規格があります。こちらは大幅に遅れて未だドラフトです。つまり、苦戦しています。なのに、もっと複雑なはずの11bbが何故先行? 色々疑問はありますが、とりあえず今日は承認された11bbというのがどういった内容なのか、というところを見ていきたいと思います。
IEEE802.11とは何なのか?
11bbを説明する前に、そもそもIEEE802.11とは何なのかを説明していきます。我々は決してWi-Fiの専門家ではないので、細部というか理念的なものまでは説明できていないかも知れませんが、それでも大まかな規格の流れを説明しないと11bbの説明ができないのでご容赦を。
最初に、IEEE802とは何なのか?から。IEEE802とはTelecommunications and Information Exchange between Systems Local and Metropolitan Area Networksの事を指します。意訳すれば、比較的「小さなネットワーク」のこと。短距離通信という事になるのでしょうが、一般的に言えばLANことを指しますね。この802グループには無線LANも当然のこと、そもそもの有線LAN(イーサネット)や、Bluetoothなんかも含まれます。
IEEE802.11(以下802.11)は802系の一部であり、ご存じの通り「無線LAN」のための規格です。正式名称は802の内のPart 11: Wireless LAN Medium Access Control (MAC) and Physical Layer (PHY) Specificationsとなっているため、802.11は「無線LANのMACとPHYレイヤーを規定するもの」というのが正確なのかも知れません。無線LANがIPアドレスを使わずMACアドレス(BSSID)で管理するのもこのためです。
802.11シリーズの中では、システムの基準となっている802.11aや11g、最近の11axなどが有名ですが、それ以外にも様々な規格が存在します。例えば、WPA2を規定する11iとか、日本専用の周波数(4.9~5.0GHz)のための11jといったものもあります。で、製品がちゃんとそれら標準規格に準拠しているのかを確認しているのがWi-Fiアライアンスです。そして、そのアライアンスの試験にパスした製品のみが「Wi-Fi」を名乗れる様になっています。Wi-Fiアライアンスは互換性のテストも行っていますので、標準規格に準拠しているかどうかだけを見ているわけではありませんが、まあ、802.11 = Wi-Fiと考えて良いかと思います。
それぞれの標準規格の具体的内容は、インプレスのこちらの連載を読んでいただくとして、ここではちょっと802.11のルール的なものを説明しようかなと思います。
一般的に皆さんご存じなのは11の後に「アルファベット」が付く奴ですよね。
- IEEE 802.11a (5GHzのWi-Fi)
- IEEE 802.11b (2.4GHzのWi-Fi)
- IEEE 802.11n (11a, 11bのMIMO対応)
- IEEE 802.11ac (11a/nの高速版)
- IEEE 802.11ax (大幅更新のWi-Fi 6)
まあ、これらは標準規格名ではあるのですが、必ずしも全てを表した名前ではありません。正式名称は、このアルファベットの後に承認された(改版された)年号がつきます。例えば、802.11axだと、最新版は802.11ax-2021※1という名称になります。携帯電話の3GPPですと、”Release”という形で世代が分かるようになっていますが、802.11系は年号でいつの世代のものかが分かるようになっています。
さて、そんな802.11ですが、後ろにアルファベットが付かない規格も存在します。それは802.11-1997みないなやつ。アルファベットなしで直接年号が付いています。このタイプの標準規格はなにかというと、いわゆる「まとめて改訂版」です。何年かに一度改訂され、その間に追加更新されたアルファベット枝番の規格を吸収して一つにまとめる、という役目を負っています。例えば802.11-2016では、11acを含む5つの規格が追加され、最新の2020では、11ai等これまた5つの規格が追加されています。そして、これが重要なのですが、その後に発行されるアルファベット付き標準規格にはベースとなる改訂版から加筆、修正すべき点のみが書かれるということになります。
例えば802.11axは、802.11-2020に追加して記述すべき内容だけが書かれています。だから、802.11axという規格の内容とは
*802.11ax-2021 = 802.11ax-2021 + 802.11-2020
と表すことができます。つまりは、すべてのアルファベットの枝番規格は、802.11というベースに追記していくという形で存在しているのです。Wi-Fi 6にあたるのは802.11axだ、というのはよく言われますが、本当のことを言えばWi-Fi 6は802.11axと802.11-2020を合わせたものだ、となるのです。で、おそらく次の802.11-2024(ぐらい)で、802.11axはベースの802.11に吸収されるでしょう。そして、802.11-2024を参照すれば11axのこともわかる、という状態になると思われます。
ちなみに、ベースの802.11ですが、11axのような固有名詞が付かず分かりにくいからか、バージョン毎に別名が付いています。802.11-2016がREVmc、2020がREVmdと呼ばれ、何年に承認されるか分かりませんが、次の改訂版はREVmeという別名になる予定です。
それでは802.11bbとは?
IEEE 802.11bb(以下11bb)についてです。11bbは、802.11-2020のAmendment 7: Light Communicationsという位置付けになっています。"Amendment"は”修正条項”略したらわかりやすいかも知れません。「802.11-2020の7番目修正条項である光通信」という意味です。ごめんなさい、802.11の専門家ではないのでなんで7番か分かりませんが、とにかく7番。ちなみに11axはAmendment 1: Enhancements for High‐Efficiency WLANなので、1番目ですね。
11bbは802.11-2020への追記でもあるのですが、実は2020以降に発表されているその他のアルファベット規格も引っ張ってきています。11bbが参照している事になっているのは以下の規格です。
- 802.11ax-2021 (言わずと知れたWi-Fi 6, 6Eの規格)
- 802.11ay-2021 (ミリ波であるWiGigこと11.adの後継規格)
- 802.11ba-2021 (IoT向けに省電力を目指す規格)
- 802.11az-Draft7.0 (位置測位用の規格)
- 802.11bc-Draft5.0 (ブロードキャスト用規格)
- 802.11bd-Draft8.0 (ITS向け11pの後継規格)
802.11-2020は3年前のまとめ規格ですから、若干古いものです。ですから、11bはその後にできた光無線でも適用できそうな規格を参照しています。特に11axを参照していることは重要で、802.11系としてはそれ以前とそれ以降は全く違うものとなったと言って良いぐらいの劇的変化ですから、11bbは実質的に11axを参照した光無線通信版である、という立ち位置になります。11bbが承認されたのは今年(2023年)ですから、11bbは
*802.11bb-2023 = 802.11bb-2023 + 802.11-2020 + 802.11ax-2021
と表すことができるでしょう。
802.11bbの中身
さてさて、散々引っ張ってきましたが、いよいよ11bbの中身について説明したいと思います。802.11bb-2023は今日現在公開されていませんので、承認のベースとなった802.11bb Draft7.0をベースに説明していきたいと思います。
11bbはHT、VHT、HEの3つのモードに対応するとなっています。HTとかHEとか、Wi-Fi専門でない我々にはあまり馴染みながない言葉です。これら言葉は802.11の他の規格を読むと書いてあります。それぞれ、以下の通りです。
- HT: High-Throughputの略で、11n(MIMO対応)のこと
- VHT: Very-High-Throughputの略で、11ac(5GHz高速広帯域)のこと
- HE: High Efficiencyの略で、11ax(Wi-Fi 6)のこと
この3つのモードに対応ということは、11bbは11acのVHTモード、つまりはOFDMと、11axのHEモード、つまりはOFDMA※2の両方に対応していることとなります。これは、11bbは11ac、11axと同等の通信速度が出せますよってことでもあります。11axと同等ってことは最大速度約9.6Gbpsってことになりますが・・・ これって、本当にそうなんでしょうか?
802.11bbのボリューム
前章で、11bbは802.11-2020と802.11axへの追加だと説明しています。多くの部分は前述2つの規格がカバーするのでしょう。とはいえ、物理部分が電波からの光の変化です。変調も多重化(拡散)が光向けに変更しなければ、そもそも通信できません。電波の11ax(Wi-Fi 6)と相互接続するとなれば、複雑な処理も必要でしょう。かなり追記する内容が多いはずです。一番上で書いた「標準化までには時間がかかる」という根拠もそこにあります。
前例で言えば、すでに先行していたITU-T G.9991(G.vlc)の場合。元ネタの電力線規格(GHN)であるG.9960とG.9961が合わせて約550ページであるのに対して、G.9991は98ページになります。まあ、1/5~1/6程度といったところでしょう。一方、802.11-2020は4379ページ、11axも767ページ、合わせて5000ページ超の大ボリューム。やはり、Wi-FiはGHNとレベルが違う。それでは、11bbは何ページになるのか?802.11はGHNの約10倍のボリュームなので、G.9991の10倍の1000ページぐらいか?さすがにそれは多いから、その半分の500ページぐらい?
正解を言いますと、11bb(Draft7.0)は、全部で29ページです。前書きやアペンディクスを除くと正味9ページしかない・・・ これで11axの同等性能を光で出せるんでしょうか?
802.11bbのPHY
まず、11bbの波長は、800-1000nmと決められています。つまりは赤外線です。逆に言うと赤外線以外は11bbではありません。G.9991では光の波長までは定義していなかったので、そこはより強い標準規格であることがうかがえます。11bbは波長だけでなく、周波数チャンネル、帯域幅やIF(中間周波数)さえも11ax(Wi-Fi 6E)ベースできっちり決まっています。
次に変調・拡散。11bbの物理層は802.11ベースの信号をそのまま光無線に載せるということのようです。本文には"the RF antennas are replaced by LC optical antennas.(RFアンテナを LC光アンテナに置き換えたもの)"という表記もあります。つまりは、11acや11axの無線信号をそのまま光無線通信として送るという事になっているわけです。LC光アンテナはすなわちDC-OFDMです。これは前々回紹介したITU-T G.9960 based PHYと同じという事となります。簡単に言えば、電波の負の部分を持ち上げて光の強弱で通信するという方式。OFDMですから、帯域が広ければ広いほど光源の応答性能が必要となります。ちなみに11axベースとなるため、最大帯域幅は160MHzとなり、200MHz対応のG.9991よりも若干狭いです。
帯域、変調が11axと同じだから、じゃあ通信速度も11axかというと難しいような・・・ 理由は2つあります。1つは先ほどの「光源の応答性能」です。現状、LED光源はダイナミックレンジが狭いのに、DC-OFDMというダイナミックレンジの広さが求められる変調方式なので厳しい。160MHzも幅があると、おそらくWi-Fiと同じような性能は出ません。この辺は、より性能が良いレーザーダイオード光源を待つ必要があります。2つめ。これは大きな問題ですが「MIMOが難しい」ということ。いまのWi-Fiは4x4MIMOとかが当たり前で、もっとアンテナ数の多いWi-Fi APも存在します。光は、まあできないことはないのですが、電波MIMOの様に反射波でMIMOするとかできません。偏光でMIMOすることはできますが、これもMIMOの次数を増やすのが難しい。11bbではMIMO分を補うためか、波長多重や空間多重(指向性の高さを使って物理的に分離するだけ)の2つの方法が申し訳程度に記載があります(中身はほぼない)。MIMOは上手くいけば最高速度がN倍になるとても効果の大きい技術なので、これがないのは通信速度的に厳しいですよね。
そして、ここも問題なのですが・・・ 上記以外には、少ない11bb標準規格書ページの中に取り上げるべき点がありません。正直に言えば、この内容で11axと同じ9.6Gbpsが出るのかどうなのか、私は分かりません。11bbは主にpureLiFiがやっていることなので、技術的な進捗までは我々も把握できていない点が多いです。しかし、これまでの光無線通信を鑑みると・・・ 厳しそうですよね、おそらく。まあ、もともとの11ax自体だって理論上の最大速度なんて出ませんから、そこまで気にする必要はないのかも知れませんが。
そういえば、MACレイヤーの話をしていませんね。11bbにはMACレイヤーの話が3行しかありません。内容は、「参照している規格(11ax等)に準じます」ってだけです。つまり、光無線通信独自のMAC仕様は全く無いです。
まとめ
さて、まとめます。11bbを読んで分かる事は以下の通りです。
- 11bbは、99%以上11ax(802.11-2020 + 802.11ax-2021)です。11bb独自に追加されたものは極めて少ないです。
- だから、11bbとは11axの光版である、というのが一番正しい認識でしょう。MIMOが難しいため通信速度が11axの上限まで出せるか分かりませんが、良い光源(レーザーダイオード)を使えばそれなりの速度は出ると思います。
- ただし、その場合(レーザーダイオード光源の)製品を11axと比べて貰えるような価格で販売できる可能性はかなり低いです。
- DC-OFDMを使う以上、物理層に関してはG.9991と大差ないです。もちろん、11axはOFDMAなのでマルチユーザーの時はG.9991より効率的に通信できるでしょうが、光の届く範囲を考えると効率が目に見えるほどのユーザー数が同時に通信することは希です。
- SSIDやらBSSIDやらWAP等のセキュリティ関連含め物理層以外の事を11bbで独自に規定していない以上、それらはWi-Fi同等となるはずです。
現在の11bbの標準規格を見る限り、Wi-Fiとのシームレスなハンドオーバーだったり、LiFiであることを意識しないで使えるとかの「相互運用」という11bbの本来の目的までは達していないようです。あくまで、今回の802.11bb-2023はスタートライン。まずは「承認されること」を優先したのであろう事は想像に難くありません。製品に採用できるかどうかにかかわらず、「正式である事」はこの規格を主導するpureLiFiにとってのメリットも大きいですしね。
一方、我々が考えている11bb成功のポイントは、Wi-Fiのチップセットがそのまま使えるかどうかです。LiFiがまともな価格と品質で製品が出るかどうかは、光源や受光部という光無線通信部だけではなく、チップセットが安いかどうかも大きな要素です。先のG.9991は、GHNのチップセットを流用するがために、ほぼGHNの標準規格に準じる仕様になっています。11bbは、その点でバンドやIFの考え方から既存Wi-Fiチップセット流用がある程度考慮されていることが見受けられます。ただし、実際にどうなるかは今後を見ないと分かりません。
長々とここまで書いてきましたが、そもそも現在のLiFiの問題点は11bbの内容とはさほど関係ないと我々は考えています。光無線通の専門家として正直に言いますと、LiFiはデバイス性能という問題点を克服できておらず、その点で無線(Wi-Fi)に対抗できていません。光源や受光部デバイスの性能、例えば応答速度だったり、出力だったり、製品寿命だったりが低すぎて、電波に比べて通信速度も出なければ、通信範囲も狭いのが現状です。確かに、帯域幅は無限と言えるほどあり、シャノンの定理で考えれば通信速度を上げられる要素はいくらでもあります。しかし、10Gbpsやら100Gbps達成したやらの煽り文句というのは、全ての環境が整った実験室レベルの話であり、LiFi製品化となれば未だ実測300Mbps出ればいいところだし、NLOS(見通し外通信)ができなくて使いづらい事も変わりません。今日現在、普通に高速通信したいのであれば11ax、つまりは電波無線を選ばない理由はありません。電波が使えないとか、干渉がひどいとか、セキュリティとか、Wi-Fiでは解決しない問題をもつ方だけげが、LiFiを検討すれば良いと思います。
誤解?があるといけないので、最後に一応書いておきます。今回、11bbについて結構ネガティブな意見を書いてしまった気がします。ですが、光無線通信を扱うものとしては買ってほしいんですよ、LiFi。我々も売っていますし、もし我々からでなくとも光無線通信が売れて広まるのはうれしいことなので。でも、Googleじゃないですが「邪悪になるな」がこのブログのコンセプトですので、私はエンジニアとして正直な意見を書かせていただきました。会社には怒られるかも知れませんが・・・
もし、それでも尚LiFiに興味があるという方は是非Contact欄にてお問い合わせください。買う気はなくて単純に質問したいという方でも、遠慮なくお問い合わせください。
※1; 正しくは”IEEE Std 802.11ax‐2021” (axの後にTMマークが付く)
※2; 802.11axでは、時間とサブキャリアで通信ユーザーを分けるOFDMA方式を採用している。OFDMAは携帯電話のLTEや5GNRでも使われている方式である。